2014 年 6 月、家屋の元住人につながる可能性があるという女性 M さん (当時 84 歳) に、二度の手紙のやりとりの後、面会の機会を得た。場所は M さんの自宅 (島とは別の市) である。
取材ではなく、あくまで「気になっていることを少しお話を伺いたい」というお願いをした。約 2 時間。録音は許可を得た。本記事はその要約である。
取材ではなく、あくまで「気になっていることを少しお話を伺いたい」というお願いをした。約 2 時間。録音は許可を得た。本記事はその要約である。
「梅」という名前について
M さんの話によれば、戦前のあの集落には「梅」という女性が二人いた。一人は M さんの母方の遠い親戚、もう一人は隣家の主婦であったという。両者とも、戦中から戦後にかけて、相次いで亡くなった。
問題の家屋は、二人の「梅」のうちの一方の生家であった可能性が高い。ただし M さんは「どっちの梅さんかは、もう、誰も覚えとらんと思いますよ」と言った。
家屋の歴史
- 明治末期に建てられた木造一軒家。元々は林業を営んでいた家で、家族は 5〜6 人。
- 戦中、若い男性は出征。戦後、二人の女性 (姉妹とされる) と幼い子供 1 人だけが残された。
- 1950 年代後半、姉妹のうち下の者がまず亡くなり、その数年後に上の姉も亡くなった。
子供については「どこにいったか分からん」とのこと。 - 家は持ち主のないまま放置され、1970 年代の町の合併の際、登記が一度途切れた。
M さんが語った、子供の頃の記憶
「うちの母が言うとった。あそこの家には、夜に行くと、子供の声がする、と。
その子供は、もう、どこにもおらんはずやのに、とね。
母は最後まで、あそこの前を通る道は使わんやった。」 — M さん (当時 84 歳) / 2014 年 6 月聴取
戦前の墓地
M さんの話を裏付けるために、私は集落の集会所の裏にある戦前の墓地を、後日訪れた。
「梅」の名のある墓石は、確かに二基あった。一基は大正期のもの (劣化が激しく、年号は読み取れないが、戒名の様式から推定)。もう一基は昭和 30 年代のもの。共に、現在の管理者は不明である。
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