梅ばあさんの家に関する調査

調査記録 #3 / 2014/06/22 — ある親戚の方の話
お話を聞かせていただいた方の氏名・住所はご本人の希望により伏せています。本文中の M さんは仮名です。
2014 年 6 月、家屋の元住人につながる可能性があるという女性 M さん (当時 84 歳) に、二度の手紙のやりとりの後、面会の機会を得た。場所は M さんの自宅 (島とは別の市) である。
取材ではなく、あくまで「気になっていることを少しお話を伺いたい」というお願いをした。約 2 時間。録音は許可を得た。本記事はその要約である。

「梅」という名前について

M さんの話によれば、戦前のあの集落には「梅」という女性が二人いた。一人は M さんの母方の遠い親戚、もう一人は隣家の主婦であったという。両者とも、戦中から戦後にかけて、相次いで亡くなった。

問題の家屋は、二人の「梅」のうちの一方の生家であった可能性が高い。ただし M さんは「どっちの梅さんかは、もう、誰も覚えとらんと思いますよ」と言った。

家屋の歴史

M さんが語った、子供の頃の記憶

「うちの母が言うとった。あそこの家には、夜に行くと、子供の声がする、と。
その子供は、もう、どこにもおらんはずやのに、とね。
母は最後まで、あそこの前を通る道は使わんやった。」 — M さん (当時 84 歳) / 2014 年 6 月聴取

戦前の墓地

M さんの話を裏付けるために、私は集落の集会所の裏にある戦前の墓地を、後日訪れた。

「梅」の名のある墓石は、確かに二基あった。一基は大正期のもの (劣化が激しく、年号は読み取れないが、戒名の様式から推定)。もう一基は昭和 30 年代のもの。共に、現在の管理者は不明である。

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記事公開: 2014/07/30
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